画家藤田嗣治について
藤田嗣治は東京都出身の画家・彫刻家です。現在においても、フランスにおいて最も有名な日本人画家です。猫と女を得意な画題とし、日本画の技法を油彩画に取り入れつつ、独自の乳白色の肌とよばれて裸婦像などは西洋画団の絶賛を浴びました。エコール・ド・パリの代表的な画家です。藤田嗣治1886年、東京市牛込区新小川町の医者の兄弟の末っ子として生まれます。子供の頃から絵を書き始め東京高等模範学校付属中学校を卒業する頃には、画家としてフランスに留学したいと希望するようになります。
1905年に東京美術学校西洋画科に入学しますが、当時の日本画壇は性急な改革の最中で、いわゆる印象派や光にあふれた写実主義がもてはやされていて、表面的な技法ばかりの授業に失望した藤田嗣治はそれ以外の部分で精力的に活動します。観劇や旅行、同級生らと授業をぬけだして吉原に通いつめるなどしていました。その後卒業し、精力的に展覧会などに出品したがすべて落選していました。大正2年にフランスへ行きパリのモンパルナスに居を構えます。パリでは既にキュビズムやシュールレアリズム、素朴派など、新しい20世紀の絵画が登場しており、印象派の絵こそが洋画だと教えられてきた藤田は大きな衝撃をうけます。この絵画に魅せられて今までの作風を全て放棄することを決意します。パリでの生活を始めてわずか一年後に第一次世界大戦が始まり、日本からの送金が途絶え生活が苦しくなりますが大戦が終わりに向かいだしたころから少しずつ絵が売れ始め、シャロン画廊で開催された最初の個展では、良い評価を受けすぐに絵が高値で売れるようになりました。面相筆による線描を生かした独自の技法による、独特の透きとおるような画風はこの頃確立されました。当時のモンパルナスにおいて経済的な面でも成功を収めた数少ない画家となりフランスでは知らぬ者はいないほど人気を得ました。
1925年フランスからレジオン・ド・ヌール勲章、ベルギーからレオポルド勲章を贈られました。その後、日本帰国しますが晩年フランスへ戻りフランス国籍を取得し、1957年フランス政府からレジオン・ド・ヌール勲章シュバリエ章を贈られます。カトリックの洗礼をうけ、レオナールフジタとなりスイスでガンのため98歳で生涯をとじます。妻が所蔵していた、藤田嗣治の日記及び写真など6000点に及ぶ資料が母校東京芸術大学に寄付されることが発表され、今後の研究に注目が集まっています。
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